第一幕 「野分」

烏天狗と人間の戦が勃発する。プロローグ的位置づけの第1話。


 時は戦国、群雄割拠の時代。武士は皆天下を夢見て日々策をめぐらせ、戦いに明け暮れていた。男達は勝利を得る為により強い力を求め、それ故に人の手に余る力をも手中に収めんとしていた。
 鞍馬山。深い霧が立ちこめ、人の侵入を阻むこの地に、烏天狗の里は在った。圧倒的な速さと空を翔る羽を持ち、変幻自在の外法を用いる『異』なる者、天狗。その力を得んとする愚かな人間は後を絶たなかったが、誇り高い烏天狗は人の下につくような下卑た行為を良しとしなかった。
 『天狗を狩れ。』頑なに人の下で働くことを拒む天狗に痺れを切らせた人間は、彼らを狩り、或いは生け捕り、力を得ようと考えたのだ。
 ──斯くして、人と天狗との血生臭い戦役が勃発したのである。


「お呼びですか、長」
「おお、風巻。よくぞ参った」
 里で一番高い杉の木の上、長の住まう館に入ると、風巻は胡座をかいて囲炉裏の前に座った。
「急なお召し、如何なされました?」
 里長・颶嵐は、囲炉裏に煙管を突っ込み、大きく息を吸い込んだ。舞い上がった煙が天井の低い邸内に充満する。真っ直ぐに自分を射抜く視線にちらと目を合わせてから、颶嵐は言った。
「…他でもない。里の護りは万全か?」
「はい。我ら『三羽烏(さんばがらす)』が里に結界を張り巡らせております故。幾人かは辿り着いた者も有りましたが、皆結界を越える迄には至りませぬ」
「うむ。ならば良い。だが──」
 長は黙り込んで、煙管から紫煙をくゆらせるばかり。何かを言いあぐねているのか?風巻は長の真意を探ろうとその紅い瞳を見据えた。妙に静かだ、と感じた。迷いがあるはずなのに、瞳の奥は凪いでいる。僅かに首を捻りつつも、次の言葉を待った。暫くはパチパチと炭の鳴る音だけが部屋に響いていたが、やがて意を決したように長は煙管を引っ繰り返し、囲炉裏に火種を叩きつけた。
「……『外』での戦況が思いの外悪いのだ。『三羽烏』を里に残しておるのだから、不利と言えば不利。そこで、だ」
 煙管を所定の位置に戻し、颶嵐は苦虫を噛み潰したような表情を一瞬浮かべた。しかし、毅然と風巻を見据えると、彼に言い放った。
「──主の妹、南風を前線に送り出す」
「な……ッ!」
 風巻は目を剥いた。
「長、正気ですか!」
「狂ってはおらぬ。『三羽烏』を里に残しておる今、里で一番の手練れは南風。それは主がよく知っておろう」
「し、しかし妹はまだ年若く……」
「主や儂と三つしか変わらぬ」
「南風は女です!」
「女子も戦に駆り出されておる」
「しかし長!」
「却下」
「南風は……」
「却下」
「南風は貴方の……」
「却下」
(貴方の、許嫁ではないか……!)
 言葉を呑み込んだ。否、それ以上は言葉にならなかった。俯いたままの風巻の傍へと足を運んだ颶嵐は、彼の項垂れた肩に手を置いた。
「…許せ、風巻。もう、決めたことだ」
「……長は…いや、お前はそれでいいのか、颶嵐!」
「……」
「颶嵐」
「ちょっとォ~、本人の意向も聞かずに勝手に判断しないでよねェ~」
 飛び抜けて明るい声が部屋に響いた。振り向くと、一人の少女が戸口にもたれ掛かるようにして立っている。濡れ羽色の豊かな髪を左右の高い位置で縛った、見るからに溌剌とした少女だ。
「南風!」
 兄に名を呼ばれた少女は、つかつかと二人が座る場所へ歩み寄り、見下ろすようにして言った。
「兄様ってば、頭ごなしに長を責めないでよね。元はと言えばあたしが言い出したんだからさァ」
「何と……っ?!」
 思わず長を見た。
「…儂も止めたのだがな」
 長も呆れ顔で首を振る。
「そういうことォ~」
 ご機嫌な様子の南風は、歯を見せてニヤニヤと笑った。悪戯を楽しんでいるガキ大将と言った風体だ。
「里の『三羽烏』颶嵐・風巻・疾風。長をも含める三羽が欠けては、里に結界を張り続けられない。かと言って、『外』で戦う者達を指揮する者が無ければ、負け戦は確実よ。『烏合の衆』とはよく言ったモンだわ」
 軽い口調で言いながらも、南風はその場に座り込み、最強の三羽のうち二人を前にして「だから、あたしが行くしかないの」と言い切った。その瞳は澄んでいて、無邪気な子供のようでもあり、悟りを開いた賢者のようでもあった。
「…南風がこう言うのだ。儂にはもう止める術は無い。主もそうであろう?」
 長の言葉に、風巻はただ頷いた。
「では、今日の夜出立しまーす。さ、準備の続きしなきゃ」
 妙に意気高く言うと、南風は別れの挨拶もそこそこに長の館から飛び去った。男二人が残された室内に、やがて長の噛み殺すような笑い声が響きだす。つられるように、風巻もくつくつ、と咽喉を鳴らした。
「難儀な妹を持ったな」
「その難儀な妹を早う引き取って頂ければ、俺も気が楽になりますが」
「…絡むなよ」
「…長こそ、お戯れを」
 長は口元を歪めて目を閉じ、「戯れを言いたくなる事もある。捨て置け」と笑った。
「…御意。では、俺も護りに戻ります。」
 立ち上がり踵を返した風巻に、長は「全て、上手く行くといいのだがな」と呟いた。予言ですか、と問うたが、長は曖昧に笑うだけで、その真意を掴む事が出来なかった。

 南風が里を出て暫く経ったある日、突如として前線からの連絡が途絶えた。必死に生き抜いて里に辿り着き、一言だけを残して息絶えた仲間は、最期にこう告げた。

 ──全滅。

「南風はどうなったのだ!」
「落ち着け、風巻!」
「放せ、疾風!」
 今にも里から飛び出そうとする風巻を、『三羽烏』の一人・疾風が必死で抑えていた。しかし、疾風は風巻よりも七寸程背が低く、身体も小さい。今にも振りほどかれそうな状態だった。それでも、彼は風巻を説得し続けた。
「ダメだ!お前が行っちまったら、里は誰が護るんだよ!結界は、長と俺とお前が居ないと保てないんだぞ!」
「里など…里などどうでもよい!南風を…、妹を…助けに行かせてくれ……!」
「その言葉、立派な反逆罪だな」
「長…」
「よかろう。行くがよい、風巻。ただし、罰は甘んじて受け容れよ。それが主を解放する条件。良いな?」
 風巻は懇願するように何度も頷いた。気持ちが急いているのだろう。彼らしからぬ反応だった。
「長!」
「…放してやれ、疾風」
 解放されると、烏へと姿を変えた風巻は直ぐ様里を飛び立った。
「いいのか、長?」
「…うむ。これが、彼奴の宿命だからな」
「宿命?」
「ああ。宿命だ。神が定めた、な」

 戦場に降り立った風巻は、その光景に唖然とした。人も天狗も入り混じった、死屍累々の荒野。吹き荒ぶ風に、衣や旗の端切れが揺らめくばかりで、生きたモノの気配は皆無だった。
(あれは…何だ?)
 そんな中で見つけた、荒野に蠢くモノ。長い金の髪を風に揺らしているソレは、異人の女のようだった。女は何か人のような物を腕に抱いている。
(女…一体、何をしている…?)
 目を凝らして見ると、女はしゃがんで『何か』と話している。不意に、話をしていた『何か』から光輝く玉が舞い上がった。それは、紛れもなく──
(あの波動は…南風!)
 妹の、魂だった。南風の魂は、一頻り女の目の前をゆらゆらと浮遊し、やがて女の手元に吸い込まれ、消えた。
(なっ……!)
 女を追い掛けようとしたが、女は直ぐに靄がかった荒野に溶け込み、気配を消してしまった。女の立っていた場所に降り立つと、そこに残されていたのは、右側の下半身と左腕が千切れ飛んだ──憐れな姿の妹の亡骸。

 生者の気配が無い戦場に、一羽の烏の悲痛な叫びが谺(こだま)した。

「…そっか。んじゃ、暫く風巻とも会えないな。今度会えるのは何時になるのかね~」
「さぁな。百年、或いは五百年後か…私にもそこまでは見えぬ」
 里に戻った風巻は捕えられ、『煉獄の檻』と里人が呼ぶ罪人の監獄に落とされた。彼に与えられた罰は、永く、重い。
 ──主人を見つけ、式神として人に仕える──
「誇り高い烏天狗には、これ以上無いほどの屈辱だな」
 寒空の下、疾風は星を見上げ鼻白んだ。
「屈辱も、いつかは喜びとなる。彼奴はそういう星の下に生まれついておるのだ」
「ふーん、そういうモンかね」
「そういうものだ」
 口元を薄く引き上げて、颶嵐は空を仰いだ。皆、狩られた。結界が弱まった所を攻められ、僅か十数人にまで減った里。生き残った者で、風巻を責める者は居なかった。
「皆、自分の運命を受け容れている。風巻も、知らず知らずのうちに」
「いつかは、また会えるか?」
「運命は交錯する。何の為に我らは、永劫を歩ける程の命を持っていると思う?」
「……っははっ、そーだよな!」
 疾風は、目を輝かせた。
(風巻、俺達、また会える。だから──)
 颶嵐は、疾風の表情を見て小さく微笑った。少しだけ哀しげに、目を細めて。
「そう。諦めてはいけないのだ。──未来を」

 時は現代、進んだ文明の歪みがあちらこちらに溢れる時代。永い時間を経て、一人の女性が『檻』の中に現れる。
「貴方こそ、我が主人(あるじ)──」

 運命は再び交錯して、新たな物語を紡ぎ出す。そして、新たな物語は旧き物語を終焉へと導くだろう。

『風巻、また会えたな』

 たとえそれが、憎しみ合う運命だったとしても。

『兄様』

 たとえそれが、形の無いものだったとしても。

『未来を諦めるな!』

 運命の鎖を断ち切れるのは、お前自身の強さだけなのだから。
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